カテゴリー:日本編
日米タイムス特別版 2009年1月1日付 掲載記事
2009年1月1日
写真はクリックすると拡大されます
私の仕事はキモノスタイリスト、そして着物デザイナー。日本文化である着物を少しでも多くの人に理解して頂く事だけを考えて日本で頑張ってきました。今までやってきた私の仕事の自慢は2000本以上の台本が事務所の棚にびっしり。私の芸能活動の足跡でもある台本を読み役柄にあった着物を選び帯や小物を選ぶ。そのシーンに合うものがなければ1から作る。妥協は許さないのが私の信念。NHK紅白歌合戦や朝の連続テレビ小説を始めドラマ・映画・舞台・雑誌・CMと着物のシーンと言えば冨田参上というぐらい活動してきました。今は芸能活動より着物の講演活動や国内外での着物着付けショーなどに力を入れています。今まで私は着物は日本人が着る物で着物の素晴らしさを日本で伝えようと考えていました。
3年前に日系四世の姪っ子が「結婚するので着物をドレスの代わりに着たい」とのリクエストに着物を持ってサンフランシスコでの結婚式に行きました。その時、姪っ子が私の事を紹介し「私も着物が着てみたいです」の言葉と共に私はアメリカ人の若い子たちに取り囲まれました。その時に私は思いました。「着物が着たい人に着せてみよう」日本人に着せるだけではなく着物を着たい人に着せて着物の良さを知っていただく。これが私が海外へ飛び出すきっかけとなりました。どのような事をするとアメリカの方は興味を持つかが大切だと思い、まずは環境と習慣を学びそれに合わせた着物着付けレクチャーショーを考えました。反物から着物の形が出来上がる所を見て頂き、着物の時代考証や技法をショー形式で見せながらレクチャーを楽しんで見ていただけるようにと考えました。例えば浮世絵の絵があります。それを着物の柄にするのは簡単です。そこで実際に同じ着物を作り3重に重ねて人に着せ、3Dのように飛び出す絵本風に見せたりしました。
(写真:2008年サンフランシスコアジア美術館にて)
アメリカの方に伝える事が私自身の一番の学びとなり日本での活動の考え方も変わりました。日本文化を海外に持って行けるのは限られていると思います。例えば清水寺を持って行くことはできません。着物を海外で着るだけで日本文化が歩いている事を日本人には体で感じてほし
い。「私たちのタンスの中に日本文化が入っている。タンスを開ければ日本文化がここにある」という事に気がついてほしいのです。強制して着物の良さを伝えるのではなく、ご本人が「着物っていいよね。いつか着てみよう」一人でもいいからそう感じてもらいたいというのが私の願いです。
活動を海外に移し世界に向かって動き出したスタートがサンフランシスコでないといけない個人的な理由がありました。私の会社京香織の着物・帯の文庫には「勝太郎館」と入っています。「勝太郎」は父の名前で、「館」の意味は美術館のような着物を作るという意味をこめて「勝太郎館」とつけました。私の母は早くに亡くなっており国鉄を退職し、まじめ一筋に仕事をしてきた父との約束がアメリカに連れて行くことでした。父は何ひとつ贅沢もせず一生懸命働いて働いて、父もまた早くに父を亡くし五人の兄弟の面倒を見守ってきたことをずいぶん後から親戚の人に聞きました。そんな父の名前を世の中に残したかったのです。父は姉のいるサンフランシスコに行くのが夢でした。私は父の夢を叶える事が出来なかった悔しさ、自分のもろさに、今でも父が突然倒れた時の事を思い出します。父が亡くなる前日は富山県の氷見に行っており、氷見の方から魚を頂きました。体調を崩していた父は「氷見から魚を持って帰ったんやったら食べんとなー。氷見の魚は日本一や」と話していました。数分後その言葉が「しんどいんや」に代わり、私の身体にもたれそのまま息を引きとりました。4月の夜のことです。桜が満開に咲いていたのに、雪が降っていました。
私は母の他界の時は泣いて泣いての日々でした。だからこそ父が他界した時は泣きませんでした。人前では絶対に泣かなかった。母の着物姿にあこがれ、父と着物姿でお正月は一杯飲みに行っていたあの時には戻れないしもう後戻りできない。サンフランシスコに行って頑張ってきても日本では結局誰も認めたりしない。ただ私は思います。その評価より一人でもたくさんの方に着物が素晴らしいって理解されればいいかなって。それから出来れば分かってくれる人だけに少しは「よくがんばったね、偉いね」と言って欲しいと。
そんな思いもあり、海外での活動をサンフランシスコから始めました。ジャパンタウン100周年記念イベントを伝統で始め、パロアルトGallerykimura、マウンテンビューCSMA,ロサンゼルス国際交流基金主催UCLA・日米会館・他4ヶ所、2007年・2008年サンフランシスコアジア美術館、ロサンゼルス総領事公邸、パロアルトアートセンターで着物レクチャーショーを、40回・41回サンフランシスコ桜祭りパレード参加しました。そして2009年には42回サンフランシスコ桜祭りパレード参加、ロサンゼルス日米協会100周年、サンノゼのいくつかの美術館で着物レクチャーショーの依頼を頂いております。私の想いと財が続く限り日本文化である着物を伝え続けたい。そして親が健在の時に出来なかった遅すぎた親孝行を続けたい。生きている限り着物着付けショーを続けたいと思っております
(写真:2008年パロアルトアートセンターにて)