帰るなり日本列島
2009年7月19日
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ロサンゼルス&サンフランシスコから日本に帰るなり秋田県横手市でのイベントに、それから富山県氷見市に行きっていうか内緒で心の休息。それから佐賀県嬉野市でロサンゼルス・サンフランシスコ報告会・・・京都に帰るなり毎日打ち合わせや面接や来客や…ご報告資料作りや7日からの日本全国イベント資料作りや結構ふらふらでした。
そんな5月の始まりでした
伝える事の大切さとこれからの動きの形造りの重さ
そんな話題を作りメディアの方が…
そうそう、2009年5月5日記念すべき日となりそうです
以前に、車の話をしましたがついに乗り換える事になりました
車もブランドですがその担当の方が素敵な人で本当に車とその人に惚れて憧れて…
「ブランド」は人が作り、人が伝え、人がそのブランドに惚れるもの
そのブランドに乗せていただき、そのブランドを汚さぬ様に
そして自分のブランド作り
京都を離れ365日冨田は頑張って×5の背番号を付けて頑張ります
そして、今回は国産車ですから
日本のモノを大切にしたいですね
そして心から感謝します
素晴らしい車と素晴らしい担当者の0000さんに
心から感謝です
ありがとうございます
大切に乗らせて頂きます
おかしい・・・おかしい
今はやりの新インフルエンザか…39度の急な熱が
和歌山の知らない所でどっと疲れが出たのか自力で…
知り合いの大阪の看護婦さんが夜にかけつけてくれて
なんとかあくる日のトークショーに何もなかったかのように
熱は下がったもののトークショーが終わり和歌山から岐阜へ…
咳だけが止まらず、長旅の車での移動は疲れた
その日の夜に到着。軽い食事を済ませ(勿論ひとりで食べに行けないので買い出しホテルの部屋での一人食べです)今度は岐阜から神戸に…
休む間もなく宮崎空港に…
いよいよ『着物と温泉』の始まりこの話はこちらから
それから佐賀県知事のロサンゼルス・サンフランシスコのご報告をし、嬉野市でゆっくりさせてもらい博多から東京へ
久しぶりの東京渋谷…人、ひと、人、ひと、人
スタイリスト角田今日子さんの東京の事務所で繊研新聞のインタビュー
いよいよ活動開始
そんな繊研新聞の記事を
それから渋谷から大阪、大阪で打ち合わせを済ませ新潟に…
新潟ではいっぱい学びを感じ
こんな言葉にも出逢いました
トイレに相田みつおのカレンダーに書いてありました
私は新潟でこんな事も学びました
足跡と心と感謝
そして生きる幸せと生きる楽しみ
今はそれ以上言えない
それから、新潟から今度は三重に行きロサンゼルスとサンフランシスコの反省会とご報告会に
そこでまた学びを…
やっぱり赤ウインナーかな
私はありのままがいい
私はわたし
変わらないもの…
久しぶりの針治療
先生に一言
「あなたは死にたいの」
・・・
それから、丹後の刺繍屋さんに
いつもありがとうございます
最近人がよく見える
だから 悲しい事も辛い事も
どうでもよくなってきた
逃げているだけかも…
5月末は2年越しの約束
新年会
ひと時が長く感じた
そんな新年会でした 楽しかった
もう6月だ
そろそろロサンゼルスに行く時間が迫って来た
それから
『着物と温泉パート2』この話はこちらから
着物と温泉プロジェクトは難航しながらも
確実に前進している事に余韻にひたっている暇もなく
富山県庁に…
そして氷見市市役所で記者会見
テレビ局も3社入り
あとは氷見商工会議所・JA氷見・氷見漁港組合での
これからの氷見について
夜は山海氷見のメンバーに会い副市長や県庁の00さんや00テレビのドキュメンタリーの話も
氷見の夜は朝まで続いた
1時間の仮眠というか1時間しか寝れなかった
っと言うのは朝の6時に高岡市民病院に襲撃に
看護婦さんには「時間を考えてください」って
そんな言葉を後に東京に
東京では伊香保の福一さんの社長と「着物と温泉ランチミーティング」でした
飛行機の時間があり
そのまま国会議事堂に見学をさせて頂き
あまりミーハーにならない私はカメラ小僧になりました
とってはいけない場所での撮影なので見せられないのが残念です
6月に入り最初のイベント
これが来年の00000000に
『ゆかたで嬉野2009』
伝えることの大切さを感じましたし私の魅力の無さを感じました
全て私の反省としてこの街に必ず「冨田と出逢って良かった」そう言われたい。
でも、私は嬉野市というまちに小さな石を投げた事が
これから何かが動き何かが変わるのではないかと思う…信じたい
そうそう、前回の話ですが
『これだけ色々な事をしていると色々言う人がいて
まわりに迷惑をかけている事がわかりました
皆さん心配してくださってごめんなさい
私に言うのではなく、私の知り合いに
そして知り合いから
「変な連絡を・・・」「こんな連絡をいただき・・・」
そして知り合いからは
「人の蔭口の様なメールを・・」
「その人ってかわいそうだと思う。なぜなら・・・」
でも皆さん私を信じぬいて下さっていました』
その人は誰なのかを知りたいという問い合わせや
私に対する励ましの言葉ありがとうございます。
でも私は大丈夫ですし
もう気にしていません
ただ言える事は信じぬく事
私はその人に信じてもらえなかっただけ
私の魅力不足です
自分の反省ですから
今の私は6月ハリウッドレットカーペットを歩くための・・・
ロスアンゼルスに行く準備や・・・
そしてサンフランシスコのある打ち合わせのために
では、ひとっ飛び・・・
帰るなり日本の流転の旅が始まり、
『和歌山―富山―佐賀―福岡―三重―富山―石川―富山―京都』
と帰ってからの10日間の出来事。
和歌山で感じた事がひとつ・・・
自分の学びとなりそれから
富山(氷見の事)では今まで自分が提案して色々決まってやってきた事が多く
本当は氷見の人から「こんな事が出来ないのか」など言ってきてほしかった
そんな何年間。私は純粋に氷見が好きだから氷見を素直に伝えたかっただけ
ある人に言われたんです
「いろんな所に行って一言氷見って言っていただけると氷見の事が世に中に知れ渡る」
色々な事を言われても、ただ氷見を伝えたい気持ちが強く…
でも本当は・・・
そんな中で氷見の方からの提案で始まり大漁旗で浴衣を作る
それを某テレビ局が1年間の密着取材に
そしてそれを着てのロサンゼルスに行き「ゆかたでディズニーやドジャーズ球場でパフォーマンスや000その他秘密がいっぱい。
ロサンゼルス政府関係者に1年前からの交渉を始め
氷見を世界に発信するために時間と財を使い人の心に会話して『頑張りたい』
あくる日は私の最も苦手なスーツを着てのご挨拶まわり
カメラ小僧アラフォーさんはやっぱり凄い
政治家に合わせて自慢されているのではなく本当に私の道標をして下さっている事がよくわかります。私が今後活動がしやすいようにと…経済産業省の二階大臣に合わせて頂き私の想いを聞いて頂きました。まず、カメラ小僧アラフォーさんから紹介をして頂きその後私の信念をお話させていただきました『日本は経済大国と言われ、今まで経済が文化を支えてきました。しかし経済が大不況になれば文化を守りたくても守りきれない。でも本当はそうではなく、日本文化の国内外に発信することで地域経済が活性される時代だと思います。それを教育に持って行く事が観光国日本を作り上げる事が出来るそんな事を考えています』とお話をさせて頂きましたら『実は国立大学和歌山大学に観光学部をつくって文化プロデューサーを作りだしているんだよ』っておっしゃり流石だなと感銘しました。今後の活動の協力出来る局長を紹介して頂き、また観光庁長官にもお話を聞いて頂き本当に一生懸命の政治家・官僚に感銘です。ただ、私は今まで通り頑張って×5やるのみちゃ。カメラ小僧アラフォーさんと別れ、スタイリスト角田今日子さんとディナーミーティング。角ちゃんは偉い
あくる日は打ち合わせを二つ済ませ最終の飛行機で久しぶりの帰社。でも朝一番に金沢湯涌夢二館に行き本当の竹久夢二が描いた帯の撮影・資料作り…学芸員の0000さんがお相手して頂きなした。「小林館長からくれぐれも丁重にお相手するようにと指示を頂いております。着物の事は逆にわからないので色々と教えてほしいです」と、撮影をしながら資料なんかも見せて頂き(特別な資料も頂き)竹久夢二や彦乃の気持ちになった瞬間でした
必ず大正ロマンの街作りをしたいっと心に誓い…
今日はロサンゼルスで行われた日米協会100周年のパーティーで知り合いになった喜多郎さんが「着物の事を知りたい。日本文化である着物を私の残していく事に協力したい」の一言が今回の再会となりました。今の着物業界の流通(問屋)と実際扱われている商品などを目で見て頂き
機織屋さんの気持ちと染屋さんの気持ちなどを知って頂きこれからのコラボレーションについて色々話をさせて頂きました。喜多郎さんってあの世界的有名な音楽家の喜多郎さんですよ。そんな世界的アーチストが私のアート村プロジェクトや「着物と温泉」にも参加して頂き、そして日本文化である着物を感じ着物を伝える事を考えて頂きました。喜多郎さんの考え、やり方、一緒に撮った写真を本当は載せたのですがごめんなさい。今は喜多郎さんの心を大切に・・・
そのうち…結果を出します
幸せな事・・・必要とされている自分がここに
必要とされてない事もあれば必要とされている事もある幸せ
今回も成長していないのか、変わらない気持で頑張っている
じゃ そろそろ行かなくっちゃ
また、今度いつ逢えるか分からないけど
今度は又ながい旅になりそうです
いつか分かってもらえる事を信じて、信じぬいて
道標
頑張ります×5
Sosite2nenkansagasiteita
[take me out to the ...]
そして今回もいっぱいありがとうございました
皆さんの心と品物を送っていただき心が喜んでいます
Good see you
2009//7.10
Nobuaki Tomita