思い出ぽろぼろ
2009年2月22日
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ロサンゼルス総領事のはからいで英語がしゃべれない私の為にロサンゼルス空港税関宛てのレターを頂きスムーズに入国できました。毎回税関にチェックされ別室でチェックさせられるのはストレスがかなり起こり大変でしたが今回はスムーズに出れました。4月の前準備と2月3日の新聞記者会見、そしてその次のイベント打ち合わせの為に…ありがとうございます
私はあることに気づきました。飛行機の私は窓を見ている自分がいつも切なくいつも辛い思い出が舞い込んでくる。本当は夢ふくらませないといけないのに。分かっていても…切なくて…
映画を見ている自分が何かを忘れようと。何もない飛行機の窓から真っ暗な景色を見ながら
そんな空を見ながら衛星電話を掛けたこともあったなと
そんな事を考えている間に朝やけの景色が
母親の死に目の約束も朝やけの病院だったなと思い出し
思い出ぽろぼろ(ぽろぽろでもなく ぼろぼろでもなく ぽろぼろ)
今回はビジネスクラスで行きました。隣の方とも親しくなり私のロサンゼルスでの活動を知っておらる方でした。私はあえてその方の仕事は聞きませんでした。名刺がほしいと「私から連絡していいですか」に、「オフコース」って返事したら「日本人が英語で答えアメリカ人が日本語で話したね」彼女は素敵な笑顔をくれました。いつかまた会える事を夢見て Good See You
そうそう 成田空港まで見送りに来ていただいた方がいて忙しい時間と笑顔をもらいました
いつもひとりで成田空港に10時から夕方5時フライトまでいつもひとりで過ごしていました
「栄光のかけ橋」を聞きながら「桜」や「さくら」を聞きながら
空港にはいっぱいの思い出があり足跡がある
迎えに来る約束の人がこなかったり…
サプライズである人が来たり…
空港は私の思い出ぽろぼろ
今回は空港は特別な思いで…いっぱい話も出来たしここでも必要とされている自分が
ここにあったことも今となれば感謝かな。いつも見守ってくれていたんだねっ思いました
私の毛細血管が切れた時に言われた言葉を思い出します
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ありがとです
これも思い出ぽろぼろ
空港に着くなりロサンゼルスでの活動を一緒にする予定の支社長とミ-ティングをし、その後私のロサンゼルス滞在期間の服を買いに行きました。最近ハマっているメーカーの服があり日本では勿論手に出来ない商品で…
まずは着物着付けショーをする会場を見ましたが…私のイメージの会場ではなく一からやり直しでした。これは本当に大変なことで少しではなくかなり焦りました。ただ私はきちっとしたショーがしたくこの場所はお断りしました。本当は蕎麦やおにぎりをたきこめる場所も考えてくれていたみたいで…その場所を考えてくださっていたみたいでした。もし蕎麦組合の方が来られる事になればとか、ご飯の炊きこみをなどを考えて最後まで悩まれていたみたいでした。私の返事が遅くかなりご迷惑かけた事になって反省です。1月26日現在着物着付けショーの場所がない。最悪の状態ですが信じたい。目指すは以前お付き合いのあるバワーズ美術館にアポイント。今日は休館日で明日もう一度…それからミーティングをしてから明日のアポイトメント(ハリウッド関係・ファッション関係者)それから事件は始まりました…携帯電話の充電器を忘れました。携帯の充電はドンドンなくなるし、それに使えなくなるとただの素材ゴミみたいなもの。どこを調べても日本の携帯は売っていないし充電器なんてなおさらって言っていても仕方がない。充電器を日本から送ってもらうかそれとも…
結局アメリカの携帯を買う事に…
そして夕食はプライベートの時間を有効に…って思いきや携帯電話の事が気になりそこの店の方が「向かいの二階の店に携帯電話の店がありますよ」すぐに行きましたが店は閉まっており…ガラス越しに見れば日本の携帯電話が…明日トライして見ようと時差を忘れての一日目でした
プライベートの夕食に入りたい人は プライベートの扉
今日は三つの商談があり、一つ目はまずはロサンゼルスで映画・テレビの配給から企画プロデュースされている会社の社長と前回総領事公邸でお会いした00さんとランチミーティングをしました。とっても協力的な方で是非いい形でコラボレーション出来ればと約束をかわし、4月の着物着付けショーに来ていただけるようにお話しました。そんな時にバワーズ美術館から是非冨田先生のショーであればしていただきたいとの事でした。ロサンゼルス最高の美術館で着物着付けショーが出来る幸せをもらいました。最高
二つ目はっとその前に充電器を買いに…
ありました、ありました…そこで面白い話を耳にしました
どんな事って言えませんが、私に会う機会のある方は是非私の…
やっぱり秘密に
どうしても知りたい方はUSA携帯の秘密
そして二つ目はロサンゼルスのプロカメラマンとご協力と企画の話ティーミーティングをしました。120パーセントの協力体制を頂きました。6月が面白くなる。そして写真集の話まで…今は言えない凄い事が多くて…ただ、面白い事が出来ると思います。時間が来たのでカメラマンとはそこで別れエレベーターに行ったら追いかけてくる人物がおり話をすると韓国の方でゴルフ場をロサンゼルスで経営されており…これまた話が内密です
どうしても知りたい方はエレベ-ター密会
移動をして三つ目はロサンゼルスの芸能プロダクションとのバーミーティング
私が考えていたかった盲点の内容これまた凄い話です。言えない話ばかりでごめんなさい
どうしても知りたい方は芸能プロ
打ち合わせも終わり今日は2人で風来坊に行きました。名古屋のあの風来坊です
ロサンゼルスにもあるんですよ びっくり
今日あったことを打ちながらそのまま寝れしまいました
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
っと文字が画面いっぱいに寝ながら押していたのかなそんな2日目でした
三日目は南カリフォルニア日米協会100年記念イベントのプレジネントダグラスG.アーバーとロサンゼルス首席領事と打ち合わせをしました。アーバーはすごくいい方で実力者で彼は私にとても感謝をしてくれました。だから私も一生健命喜んでいただける作品作りをしたいと思います
ますますすごい事に2月3日の世界に発信するプレスリリースが楽しみです。また今年6月にある南カリフォルニア日米協会100年祝賀記念晩餐会にゲストとして招待される事になりました。場所はユニバーサルスタジオ ハリウッド ザ グローブ シアターですることになりゲストはレッドカーペットを歩き(アカデミー賞の授賞式のように)会場に入るとの事でした。そしてそして来年の4月に南カリフォルニア日米協会100年記念の・・・東京で…今は絶対の絶対に言えませんがどうしても知りたい方は来年の四月
少し時間が空き実は喫茶店で色々と打ち合わせをしました
現地マネージャーと支社長と三人で…あっそうそうタバコってアメリカは高いですね
それから色々夢を現実に近付ける話を…『京香織USA』(こんな名前で取り合えず頑張ります)は日々大きくなっている感じがします。
二つ目の打ち合わせはロサンゼルス総領事のはからいでディナーに招待されました。勿論2月3日のプレスリリースの打ち合わせを兼ねて。そちらにはハリウッドいや世界の巨匠ローズマリーさんも来ていただき色々ご協力いただけることにもなり(4月の着物着付けショーだけではなく今後という事も含め)ただ…また困った問題はバワーズ美術館がキモノショーをするのにあたり適しているのかがまたもや浮上してきました。明日の打ち合わせ次第です…今回本当にロサンゼルス総領事館の皆さんには本当にご協力いただきました。幸せと私の価値をいただきました
あっそれから…日本から電話があり『0000』の舞台が決定したので協力をとの事でした
舞台は新国立劇場で『桜の園主演森光子』にスタイリストとして入って以来かな、なんて思いだすロサンゼルスでの3日目でした
いよいよメジャーリーグのドジャーズ球場に行きミーティングをしてまいりました。
凄い事になりました。メジャーリーグでは始球式は3人が選ばれるようですが日系人でドジャーズ球場で始球式をされた方は今までロサンゼルス総領事他数名いるかいないかぐらいだそうです。日本人としては、初めて見たいです。そして100席の場所も当初ベンチ横にしていましたがテレビに一番映る前列のボックスを貰いました。一塁側に76席三塁側に24席そして大空ビジョンに私の名前を出していただけるみたいです。「Welcome Nobuaki Tomita」そして、豊岡市・氷見市・嬉野市・横手市の名前も出るように…それだけではなくチケットに「NobuakiTomita記念ゲーム」と入れていただけるようです。この知らせを日本の仲のいい人にいち早く本当は一番に知らせたかった人がいたのですが、これも思い出ぼろぼろ
WBCのため、芝生の工事中。中に降りての撮影。
VIPルームで、私たちだけのディナーを企画
30年以上ドジャーズのシェフとして活躍の○○さん
昼からはハリウッドのアカデミー賞関係者の方と会える事が楽しみで約束をしていましたが着物ショーをする会場が見つかっておらずバワーズ美術館に打ち合わせに行きました。バワーズ美術館としても是非冨田先生の着物ショーをメインゲストとして参加したいとの事でしたが日にちのずれが分かり出来ない事になりました。が、どうしてももう一度私の着物着付けショーをしてほしいとの事でした。6月に予定したいとの事です。館長まで出てこられ幸せのひと時でした。
昨年7月15日からロサンゼルスで一からのスタート、いざロサンゼルスにってなんのコネクションもなく、人から人でこんなにハイスピードで…幸せぽろぽろ
絶対に2年以内に結果を出すと言ったプレッシャーを感じながら
夜はプライベート夕食会4日目でした
そして始球式の影響は日本でも大きく凄い話題に…
各後援して頂いた行政からのプレスからの問い合わせなどいい広がり方が出て各地域の活性に利用して頂ければと思います
今日はロサンゼルスからサンフランシスコへフライトする予定で
実はそこで事件が起こりました
ありえない話です
笑い話ですみましたが、本当なら逮捕してもいいんだぞって言われたみたいです。
その時から彼女は玉子(たまこ)って呼ばれるようになりました(笑)
彼女はすごい頑張り屋さんで18歳から一人ロサンゼルスに来て自分のしたい事を見つけ学校を卒業して、今自分がしたい有名なグラフィックデザイナーになれる様にがんばっています
8回も賞をロサンゼルスで取ったりしており本当に学びたい事も沢山あり
本当に一人頑張っている人だなって尊敬しています
そんなこんなで…そのままサンノゼに向かい
あっサンフランシスコ空港にはマックスがいつも迎えに来ていただき
本当に今のアメリカの活動はマックスとの出会いがあったから
サンノゼミュージアムの方たちと13時からのミーティングに入りました
5月1日、2日美術館で着物着付けレクチャーショーをする事が決まりました…
タイトルは「in spired by SJ:kimono」
テキスタイル美術館とフーバー美術館でする予定です
300人ぐらいの大きさとか
それから話はどんどん進み
どんどん…って感じです
次回のミーティングは4月20日が予定です
それからサンフランシスコに帰り
サンフランシスコ桜祭り実行委員会の方に人数の集まりの悪さ(普通フロートは1台しか出ないのに2台お願いしたことも含め)のお詫びと今後のお話と…来年の準備
来年はサンフランシスコは迷惑かけすぎたのでお断りしようと…
でも逆に「冨田先生は来てもらわらないと駄目よ」って嬉しい言葉でした。ただ…実は
それからやっとプライベート時間がとれショッピングに行ったり、私の大好きなレストランに行き食事をしたり…
あくる日の朝は一緒にコーヒーを飲みに煙草を吸いながら色々話をしました
デザインについての考えやデザインをする気持ちなど
でも、最後は「サンフランシスコが似合わない二人だね」って笑いながら
今まで大好きなサンフランシスコがロサンゼルスに…
私も彼女も今はビジネスに、そしてデザインに燃えている
心のある作品作りをしたい ブランド作り
それに燃えるしか…でないと自分がダメになる
今日は久しぶりの休日。マックスと三人でナッパバレーに行き目的のワインを買いに。
「鮨よし」と「和加奈」と「帝」と「エピス」のお店で飲むために。ワインの名前は
勿論私の大好きなオーパスワン限定品オバチャー
帰りは渋滞にあいギリギリ・ばたばたのそんな5日目・6日目でした
今回ホントに感じました
今までサンフランシスコが大好きでサンフランシスコがって言っていましたが
今は「ロサンゼルスで」っていうか、夢をロサンゼルスで現実にしないと
今までの私のやってきた事が…
そして 忘れたい事 まだまだだけど、そう簡単に…
ロサンゼルスに帰り7日目、ドタキャンを頂き、どうしようと思っていた時に私の心の中で気になっていた事がありどうしても「もう一度会って話がしたい」って思う人、それはカメラマンの岡田さん…その日は休みなのに急に連絡を取り1時にホテルに迎えに来ていただき、そして色々私のリクエストの場所を案内して頂き、私が1番に嬉しく感じたのは岡田さんの考え方が心が素敵であったことだと思います。又一つロサンゼルスの魅力が出来ました。実は英語がしゃべれない私はすごいコンプレックスがありある意味アメリカに来るのも断念しようかなって思っていました。ある人にもはっきり言われました。でも岡田さんは「先生は英語が喋れなくてもいい。先生にしか出来ない事をして下さい。そして私たちがちゃんとサポートしますから。いい作品と言いレクチャーをして下さい」少し涙が出そうになりました。そして岡田さんと約束しました
今は言えませんがどうしても知りたい方は岡田プロカメラマン
8日目も、2日続きドタキャンを頂きまた英語がしゃべれないコンプレックスがかぶさり、やっぱりありある意味英語を覚えないと駄目だなって自信喪失…「しゃべれないからと言ってないで自分でホテルの外に出なさいょ自分で…」って言葉を思い出し自分で外に出て見ましたが大変でした。本当に自分の能力と自分の力の無さに情けない。なんだかつらくなって来た。本当に辛く感じました。うまく出来て当たり前、迷惑かけても全て私のせいで、上手くいったら人が集まり・・・でもそれでもがんばって×5いや6でも7でも。行くところがないから、自分で行ける所がないから…ロサンゼルス空港で一人パソコンを打ちながらただ飛行機を待っているふりをしていました。今日ほど辛いなって思ったことはない。こんな時にI podから鬼塚ちひろの「月光が」が流れてくる歌詞を聴きながら少し泣かな。ちょどこの曲が流行った時の自分と今の自分の愚かさ…
私はこんな為に生きているんじゃない
って言って見たい
今日だけ 「泣き言」言ってみたい
私のコンプレックス
必要とされる人間になりたい
英語が出来なくても
お金が無くても日本文化を伝える為に
ただ純粋に日本文化と日本で出逢った地域を伝えたいだけなのに…
特別に思う事が悪いのか
大切に思う事が悪いのか
悩み事ない人間に見えるけど
私だって孤独って言葉も知っている
本当に辛いことだってある
でも 今日はごめんなさい
辛いときがある
2月2日2時の出来事でした ロサンゼルス空港マクドナルド前にて
明日からは何もなかったように
ただ、いつも通りがんばるっちゃ
私らしく
(日本に帰ったらパソコンに入っていました。パソコンは持っていたのですがメールのチェックをしなかったので…インフルエンザで動けなかったみたいです)
ホテルに明日の準備をしている時にロサンゼルス伊原総領事から直接ご連絡を頂きショーの会場の話を打ち合わせをしました。2つ候補がある中で私は総領事に迷うことなく
JAPANESE AMERICAN NATIONAL MUSEUM(米日博物館)
リクエストしました。理由の一つは私の叔父さんが受けた戦争の事がリアルに紹介されていると言う事。もう一つは豊岡の地場産業である鞄の原点がここに飾られていたと言うこと…今、きりゅう細工も数人で作られているだけのバックの原点がロサンゼルスにもあったことがうれしくここにしようって勝手に心に決めましたが2月4日にもう一度打ち合わせに行く事になりました。本当に伊原総領事のお陰でここまで出来るんだと改めて感謝です。と同時に皆さんのお陰を生きてる幸せと同時に感じました。昨年着物着付けショーなどで色々後々言われましたが本当に信じきって頂いた事が私の財産だと思います。私が辛いと思っていたら相手も辛いはず。ただ真実は一つ信じぬく事。嫌いですって言われたらそれまでだけれど信じぬくのも勇気だと感じました。ただ理屈の合わない人がロサンゼルスにも一人、自分のエゴだけで皆さんに迷惑ばかりかけて皆さんがどのように言っているかも知らず可哀そうな人だと思います。
4月の着物着付けショーの中に「さくらひと」をテーマにして桜の着物が色々な着物の技法に
そして日本の文化に。そして現在の生活品にしたいと考えています。「さくらひと」とは人の繋がりで桜を描くアーチストの集まり。いよいよ明日は新聞記者会見。頑張らないと・・・
そんな8日目でした
9日目いよいよ、記者会見当日となりました。ロサンゼルス総領事館に入り着物の陳列をし手塚首席領事と打ち合わせをしました。日米協会のイベントの紹介で日本食の祭典と着物イベントの紹介との事で約30社近くのプレスに囲まれて伊原総領事の挨拶から日米協会のプレジデントの挨拶…次々と偉い方々が…30分の最後5分の会見が私の番でしたが10分間もしゃべりフラッシュの山でした。会見が終わりここの質問で沢山のテレビ・新聞社のインタビューに答えました。まだロサンゼルスは1年もたっていないのに本当に沢山の方が私を知っていて下さり少し優越感。4月16日・17日取材に行きます…の言葉に大変嬉しく思いました。ロサンゼルス企業の方なども私の活動に是非協力をしたいとの話なども頂き…記者会見の後、ゆっくりとロサンゼルス伊原総領事と会話をさせていただき、本当に特別に日本文化に理解をして下さる総領事と総領事の奥様に心から感謝たしひと時でした
では、記者会見と取材の所を少しだけ
ロサンゼルス伊原総領事挨拶
冨田伸明記者会会見風景
現地テレビ局取材
伊原総領事ご夫妻、日米協会プレジデント ダグラス・アーバー氏と
現地新聞社取材
ただ17日の着物着付けショーの会場が決まっておらず…
記者会見が終わり少しUCLA大学に行き少しプライベートの時間、夜は、LA着物クラブの役員さんにお願いをしました(着物でメジャーリーグ観戦の参加協力着物着付けシューの案内)また、今後のロサンゼルスでの活動に全面的に協力するとの事を言っていただきました。そんな9日目
でした。そんな時に本当に気分の悪い電話が…まっいいか
かわいそうな人だなって思いました。その場限りの嘘ばっかり…
10日目はハリウッド関係者の方との打ち合わせ。午前中はとてもいい話が聞けました。結局日本もハリウッドも芸能界のシステムは一緒だったということ…使って下さいではなく、使わせて下さいって言われるように頑張らないと…そして大変だと言うこと
時間があったので私が少し住んでいたサンタモニカに行き海の見えるイタリアンの店に行き
ペペロンチィーノとピザ少しずつ食べ…
少し海の近くを歩き、懐かしのサンタモニカの町を見ながら
それからリバリーヒルズにあるアカデミショーなどで話題のあのホテルである方と密会を…
いつかこの方とハリウッド映画をと考えていました
逆に000さんも是非私と映画のコスチューム責任者で一緒にと…
それもこの一カ月で映画をとるかとらないかの瀬戸際になりそうです
凄い事で…
びびっくり こんなに簡単に
でも、私がしたいのは大きな仕事ではないく彼の考え方の衣装着物デザイナーとしてやりたい
そう思います
お金じゃ買えないどうせ一度の人生
本当に本当に惚れられる人にはなかなか出逢えない
もう妥協はしたくない
そしてこれからっていう時にもう捨てられたくない
必要ある人間になりたい
短時間の話を終わり今度は4月17日の会場をに見行きました
お金がかかることになり迷惑をかけたくないので京香織主催のみですることにしました。
場所は
JAPANESE AMERICAN NATIONAL MUSEUM(米日博物館)
豊岡の地場産業である鞄の原点がここに飾られているところで出来ると言うこと…
豊岡の皆さんに少しでも喜んでいただければと…
私の魅力の力不足で人が集まらなかった反省を込めて
そしてきりゅう細工の方や豊岡鞄の企業の励みになればと思っています
京香織主催ならロサンゼルスの色々な企業の協力でレセプションもしていただけることになりました(市民団体と企業では打ち出し方も変わるので)
日本でも募ろうと思います
夜はプライベートの夕食会でAKIRAと言うかなり有名なフランスレストランに行きました
オーナーシェフが京都であり一度私の着付けショーに来ていただき「今度ぜひ行きます」って言う約束が今回でした。受付で予約のチェックをしたらすぐにオーナーシェフが玄関まで迎えに来ていただき料理もフルコース…それもメニューに載っていない品物ばかり おいしかった
全ての日程が終わり
明日からはロサンゼルスで…
本当は…
でも取りあえず日本に帰ることに
そして4月までに全ての準備が出来れば
そして『京香織USA』と言う京香織グループ会社が設立しました
そんなこんなでロサンゼルスの滞在をやめ
私の思いがロサンゼルスでも大きく違い
いったん日本に戻り最後にやらないといけない事をして
あと少し…
そしてまた言葉を頂きました
誰もが驚く人からの、それも成田空港に着くなりの連絡でした
元気に頑張れる環境を頂きました
そして日本に帰り2つのメールが私を変えたかも
一つ目が
「 nihon ni tuatara renrakukudasai mattemasu 」
そして二つ目が
「初めて日本語コンピューターにインストールしました。久しぶりに日本語書く。日本に着いたら必ず連絡ください。話ししたいです」…「英語を覚えなさい」って言われた人からのメール。きっとその人は心優しく私には厳しくそう言ってけれど私を一番に大切に思ってくれてるんだなって思いました。今度は私がその人の為に…心に誓いました
国内外にもこれだけ応援して下さっている方々が、おられそんな瞬間に感謝いたします
ありがとです
今回のロサンゼルス・サンノゼ・サンフランシスコでの活動報告は120パーセントの結果を持ち帰れたと思いますと同時に2月17日に嬉野市の嬉野市観光大使を任命され、2月25日に横手市から横手市観光親善大使を任命されます。、伝えることは大変ですが私の出来る事一生懸命頑張りたいっと思います。嬉野の皆さんと横手の皆さんと一緒に頑張りたいです。本当に
そんな中、ロサンゼルス最大級の美術館「バワーズ美術館」での着物着付けショーが決まりました。6月14日それもサムライのコラボレート。
そして最近ハマっている自分の言葉があり
じゃ そろそろ行かなくっちゃ また、今度いつ逢えるか分からないけど 今度はながい旅になりそうです 心を必要としている場所に 私を必要としている場所に そして出来る事なら 出来れば 「よく頑張ったね、偉いね」 って そう 言ってほしかった 今まで ありがとう Sosite 映画のワンシーンと私のアドリブより |
2009/2/8
Nobuaki Tomita